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私の間違った考えまとめ 2020年07月04日 日記 トラックバック:0コメント:0

借金してみたい。

内田百閒みたいに借金をして世捨て人みたいに暮らしてみたい。

多分死なないけど、死ぬかもしんない。それなら100%自分の欲望のためにリスクを負いたい。借金今なら無担保無利子だし。


週2日、ゴールデン街で働いている。出勤のたびにこれから訪れるであろう理不尽を想像して少し落ち込む。

ゴールデン街は都知事のいう「夜の街」「歌舞伎町」というくくりから今はなぜか無視されているが、私がもしクラスターとして感染を数人に広げたとしたら、ゴールデン街はきっと「夜の街」に加わるだろう。

「夜の街」「ゴールデン街」という見出しに、「感染者は20代女性」病床で「行く奴は死ね!」のヤフコメを見るのだ。簡単に想像がつく。

限界かもしれない。今、この街とウィンウィンの関係になるのは無理だ。

ゴールデン街は好きだし仕事も好き。出勤すると楽しいし。お店の存続のことや私の生活を気にしてくれるお客さんもいる。

でも、社会の標的になるのは店員なのだ。飲みに来てくれるお客さんじゃない。
それを背負ってやり続けるのは全然無理。


政府や都知事の発表で客入りが大きく左右する。私の歩合給は政治とニュースで決まる。

ただ、人々の生命維持が難しくなった時に切られるのが飲み屋なのは、残念ながらわかる。美術がそうなのも。美術は社会に必要だ!という美術家の主張は間違ってないけど、今は正直必要じゃない。

まあ今でも全然楽しいし、みんなで沈むのも楽しそうだけど、できれば私は理不尽は避けたい。

先日、元自衛隊員のお客さんが言っていた。

「自衛隊は理不尽を理不尽と思わない為の訓練を毎日のように与えられる。自衛隊の任務は往々にして理不尽だから。」

これを聞いた時は眼から鱗だった。
理不尽を理不尽と思わない幸せもあるのか。

私は小さい時から、理不尽は拒絶するか、無理なら避けることしか考えたことがなかった。
それでも被った時はテーブルの下で中指を立てる。

そういえば中学生の時、やってもないことで1時間叱られ続けて泣いたことがあった。あれを繰り返すと理不尽を理不尽と思わない心が出来上がるのかもしれない。

だけど残念ながら基本的に理不尽を避けることばかり考えて28年生きてしまった。

普通避けられないことも、ずっと嫌がっているとだいたい変な抜け道が見つかる。

それは本当に変で、人間として王道じゃない。歩いてたら笑われる道だ。
だけどそれが私は好きなのだ。見つけたらそっちに行かずにいられない。

往年のそういう生き方が、もはや私しかやる人がいないんだからやらないとという使命感にまでなってきた。もうだめだ。理不尽を理不尽と思わない性格に今からなれるんならなりたい。

多分私は借金作ってふらふらどっか行きます。

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ピンクの吉野家 2020年06月05日 日記 トラックバック:0コメント:2

今日は苦手な婦人科に行った。

「今月は採血の時期ですが」

いかがなさいます。と受付の女に聞かれ、また採血を断ることができなかった。

女性が密集しているあの明るいパステルカラーの待合室に座っていると全員に無視されているようなあるいは監視されているような気になる。

私も堂々として婦人科にいる全員を無視したいのだができない。他人の血圧や飲んでいる薬の種類が気になる。
クラス替えの初日みたいな気分で居心地が悪い。

吉野家に行きたいと思う。
ここが吉野家なら、気持ちよく全員を無視するのに。

しばらくして採血の順番が回ってきた。

パステルカラーの部屋、意志の強そうな看護婦、女、女、女。

私は採血が怖い。この部屋でやるというのも怖い。
なんでこんなかわいい色合いの中で血を抜くのだろう。


「アルコール消毒大丈夫ですか?座っていて気持ち悪くなりませんか?」
マスクの看護婦が早口で尋ねる。

緊張していてアルコールと気持ち悪くなることが別の話だと理解できず、
「アルコールでは気持ち悪くなりませんねえ…。」
などと答える。

看護婦はこの患者はバカじゃないかという気色を眉間に表し

「はあ?じゃあやりますね。」

と言うと、素早い手つきでぶすりと静脈に針を刺した。

血をボトルに貯める間、自分の血を見ているのが嫌になり目を背けると、ピンク色の薔薇がたくさんあしらわれた振り子時計が目に入った。

時計のあまりのグロテスクさに思わず顔をしかめる。

誰がこんな傷口みたいなものを置くのだろう。
頼む、ここを吉野家にしてくれ。

吉野家を想う間に2本目のボトルも赤黒い血で満タンになる。

「お疲れ様です。」と言われ絆創膏を貼ってもらう。どうか誰も私のことを覚えないで欲しいと思いながら診察室を後にした。

薬3ヶ月分が保険で7500円、採血が1500円。9000円を支払い昨日の給料がマイナスになった。

家に帰ろうと病院を出たら友人から酒でも飲もうという誘いが来ていた。

以前弟が言っていた、缶ビール一杯で飛ぶ方法を思い出す。
血を抜いてから酒を飲むと血中アルコール度数が格段に早く上がり、頭のてっぺんあたりが簡単にふわふわしてくると言うわけだ。

採血ビールの機運が高まったが、やはり9000円を払った後に酒を飲むわけにはいかず断った。

家に帰るとクリーニング屋に持って行こうと思って2ヶ月前から放置している冬服の山が目につく。

外に出なければ気にならない季節ももう夏だ。

生活がはじまる。
憎きほうの生活がまたはじまってしまう。





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余日 2020年05月31日 未分類 トラックバック:0コメント:0

1人で家にいる日々で、ついに無駄を愛す才能を持て余し、友人を誘って釣り堀に行くことにした。

善福寺川緑地の中にある釣り堀は、区をまたぐ場所にあり、緑地の管理管轄の複雑さを逆手にとって脱法的に営業しているらしい。

釣り堀の隣の食堂、といってもイベント用テントの中に机と椅子を並べられた空間でまず食事をした。


メニューはカツカレーに豚骨ラーメンなどこだわりなくいろいろ揃っているが魚はない。

食堂からは釣り堀の様子が見え、それを見ながら蕎麦を食べた。

昔やった田舎の釣り堀とは違い、魚はすぐに針にかかる。自重で宙に持ち上げられ、しばらくしたら池に戻されるの繰り返し。

「残酷な遊びだね。」

と友人が言った。
友人も私も釣り堀にそもそも興味がさほどないこともあり、結局釣り堀には行かずに帰った。


釣り堀をしなかったので帰るにはまだ日が高い。
時間を持て余していると言ったら友人は家に招いてくれた。

友人は普段時間を無駄にして遊ぶことをしないらしい。
友人宅に行く途中の道でそう言っていた。

痛くない苦しくない何の為にあるのか誰もわからない時間。私はそれを愛す才能がある。


友人は仕事があるらしくお茶を用意してくれた後、ずっと忙しそうにしていた。

私は急に暇が恥ずかしくなって家の中をうろうろしたあと置いてあった笹井宏之の歌集を読むことにした。

装丁に驚くほどこだわりがなく、それが歌人死後の様相を呈しているが中では死んだはずの歌人が言葉で自傷行為をしている。

笹井宏之は26で死んだと書いてある。

悲しいが、もう明日から時間を無駄にしたりするのはやめようと思った。そのつぎの瞬間には無造作に積まれた他人の家のタオルの匂いを嗅いでいた。

なぜそうなるのか。


タオルのことは家に来た時から気になっていた。洗い上がりで積んであるのかこれから洗うものなのか。

結局どちらか判断できなかったが匂いを嗅いだことに満足し、また本を読む。

無駄は、多分やめられないだろう。

明日もこうやって延々欲望未満を叶えてやって野望もなくやっていけてしまうのだ。

しかしこの才能を何かに生かすことはできまいか。でももしできたらそれは無駄ではなくなってしまう。

本を読んでいたら窓の外で日が傾いてきて、それから少し遅れて部屋が陰りはじめた。

ディーヴァのふたり 2020年05月27日 未分類 トラックバック:0コメント:0

親しい友人2人に会わなくなって2ヶ月が経った。

会おうと思えば30分で集合できる距離にいるので会えなくはないはずだが、誰も会おうと言い出さない。この時期会わなかったという事実が後に重要になりそうな気がしているのだ。

我々3人はいろいろな偶然が重なり人生で1瞬だけなんだかディーヴァみたいな気持ちになったことがある。
「自分たちがこの世界で最もDOPEでセクシーなフリークスである。」みたいな気持ちである。

そんな気持ちはビヨンセでもたまにしかならないと思う。

おそらくディーヴァは健康な魂とある程度健全な社会の上に立つ。

それで粛々と暗黙の自粛をしている。


私は2ヶ月間、自粛で一層外に出ることがなくなった作家とばかり会っていた。
作家は1.2週間誰とも会わずに制作に没頭していることもざらなので会うとそこそこ嬉しそうなので気分が良い。

誰とも会わずに制作に打ち込んでいるのを聞くと、自分もそうしていられた。

しかしそれで今度は酒を飲んではしゃいだりする仕事に戻れるのか不安になり、ここ数日は酒を飲むのと制作をするのを行ったり来たりしていた。

気付いたらディーヴァはすごく遠くなっていた。吉祥寺の美容室に行くくらいでひどく緊張する。

6月に入りバーの仕事が始まったらコロナを怖がることもできない。

緊張してはだめだし泥酔してもいけない。
恐れおののくのも尊大になるのも違う。

粛々と制作をする日々は終わり、今度はビニールと消毒用アルコールの匂いのする店内で、当たり前みたいな顔で酒を注ぐのを粛々とやる。

2人に会うのはもう少し先だ。

コーヒーヤング 2020年05月25日 日記 トラックバック:0コメント:0

以前住んでいた家の最寄り駅を電車で通るといつも窓から外壁の腐った家が見えていた。

閉店してだいぶ経つであろうクリーニング屋がなくなり、空き地になったクリーニング屋の奥にあった家の壁木が剥き出しになっているのだった。

以前住んでいた所は空き地の多い町だった。


その町にコーヒーブロガー「ブォン」のコーヒー屋が出来たらしい。

友人の山崎によるとそこのアイスコーヒーはトマトジュースのような味で、コーヒーを飲んでいるのかトマトジュースを飲んでいるのか分からなくなるほどだと言う。


焼き鳥屋にテイクアウトの焼き鳥丼を買いに行く途中だったが、その話を聞いていたら喉が乾いてきて焼き鳥のことがどうでもよくなっていた。

その日はよく晴れていて、アイスコーヒーとトマトジュースならどちらを飲んでも良いような暑さだった。


それで山崎に焼き鳥屋をやめてブォンの店に行こうと提案するとすぐに頷いてくれた。


ブォンの店は以前住んでいた家の近所の空き地だった場所にあった。

コーヒーを買いに来た人が店の外にまでたくさん並んでいる。

大きいイヤリングをした若い女性や主婦、ブランドものに身を包んだ髪の長い男性がブォンのコーヒーを求め、かんかん照りの中集まってきている。

老人と空き地ばかりの町のどこからこんなに人が沸いているだろうか。


私と山崎もその列に並ぶと、店内にいた若い男性の店員がこちらに会釈をした。


ビビットな色味の店内にブォンの4人ほどの男性店員がいる。
コーヒーブロガーのブォンがオーダーを取り、店員を「ブラザー」と呼び指示を出す。


ブォンはオーストラリア人だが日本語が堪能だった。オーダーを取る際に「ゆっくり」と話すことを促され、自分が早口でオタクでせっかちな文化の中で生きていることをやや意識し恥じ入った。

トマトジュースと間違うようなアイスコーヒーは酸味と独特の渋みがあり、青臭い。

コーヒーの味がするのと同じくらい、確かにトマトの味がする。

これまで飲んできたコーヒーの、焦げきった豆の味からすると「若い」味のような気がした。

ブォンはなぜここでコーヒー屋をやろうと思ったのだろう。


コーヒーを飲みながら以前住んでいた家の近くを歩いた。

クリーニング屋の空き地には以前よりも青々と草が茂っている。奥にはあの家があり、腐っていた壁は白く塗り直されていた。
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