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そのマネー 2019年04月25日 日記 トラックバック:0コメント:0

昨年6月の「ミセス・キャンディ・ストリッパー」から何も生み出せないまま2019年も中盤に差しかかろうとしている。
去年と比べ仕事もあまりしていないので貯金はどんどん減っている。仕事もせず何をしていたのかというと担当に見せるためのネームを描いていた。
賞を取ると1年ぐらい地獄のネーム期間があるらしいとは聞いていた。1年というとやはり10くらいは没を食らうのかね。と思っていたが、私の場合は3本くらいだった(なぜ「くらい」をつけるかというと直しも2回くらいやったぞというプライドがあるから)。
そろそろ1年経つなと気づいた頃には鬱っぽくなっていた。受賞、ネーム地獄、そして鬱とまさに新人漫画家の王道ルートを辿っている。

初めて心療内科に行った帰り道で「ついに来たか。」と思った。待っていたわけではない。
ただ、ずっと手をつけずにいた「鬱貯金」を崩す時が来たことに少し心がときめいた。

19歳の時、突然自分の見た目がよくないのではないか?ということを気にし始めた。
思春期も終わりに差し掛かろうというのに、私はなんでも遅い。

大学一年生の夏、同じ映像学科の女の子が「整形するためにお金貯めてるの。」という話をしていた。
私はそれに感銘を受け、なんとなくお金を貯め始め始めた。
お金を貯めたら魔法が使えるような気がして、妙にロマンチックに思えたのだ。

通帳の残高が増えていくことがだんだん楽しくなってきて、常に3つくらいのバイトを掛け持ちし、暇があればお金を稼ぐことを考えていた。
最終的には金の亡者になり学食で250円のカレーばかり食べて、いらなくなった下着をアダルトショップに売りに行ったりストッキングをマニアに売ったりもしていたが、ファミレスのまかないばかり食べていたら3キロくらい太ってしまったときに目が覚めた。

「つうかそもそもなんでお金貯めてたんだっけ?」

美、だったのではないだろうか。

ファミレスでお茶をしているご婦人がむちむちの私を見て「あなた眞子さまに似てるわねえ。」と言った。
じゃあ私、痩せたら心のミューズ・紀子さまになれるじゃん。

なんだかどうでもよくなった。

私はファミレスのバイトを辞め、楽なバイト以外を次々に辞めた。
貯金は割と大学生活をいくら謳歌しても余るくらいあった。

その頃、中学時代からの友達が続々と精神を患いはじめた。
21歳、高校卒業後に就職した友達は新卒で入った会社を辞めたりしている時期だった。


みんな思い思いに病んでいたが、最初に鬱が抜けた一人が
「金があれば鬱は治るよ。」
と言った。

その子はヤフオクで月収が25万になったことですぐに精神が健常になったらしい。

それを聞いてから、私は貯金を使って遊ぶのに気が引けるようになった。
もともと暗い理由で貯め始めたお金。それによって明るさが担保されているように思ったのだ。




そのままずっと手つかずになっていた貯金を心療内科に行った帰りに下ろした。
6年ぶりのゆうちょATM。


1週間くらい楽しいことが何もなかったのにお金を使えば楽しいことが起こるような気がしてきて、それが呪いなのか救いなのか結局よくわからないままになった。
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昭和びんぼうランド 2019年01月31日 日記 トラックバック:0コメント:0

平成も終わるというのに、私の住む町に昭和びんぼうランドが建つらしい。

以前あったパン屋が閉店し、
今はそこらへんにある築50年のボロアパート風のハリボテが工事現場を囲む幕からはみ出している。これはかつて貧乏な漫画家たちが住んでいたアパートを模してあるそうだ。


私は
「漫画なんて描いてるとモテないし将来お金に困るよ。」
ときちんと教育されていたので漫画なんて描いたことがなくよくわからないが、やはり漫画家というのはみんな貧乏なんだろうか。

ボロアパートの冬は寒くトイレに行くのもめんどくさくなったり、ペンを持つ手がかじかむのでわざわざマクドナルドに行って100円のホットコーヒーを注文しあとは延々ネームを描いたりするのだろうか。



そんなびんぼうランドはこの先貧しくなってゆくであろうこの国の人達が、貧乏でも夢を見出せるような施設で、9億円くらいかけて建てられている。

9億円。
思いつく限りの贅沢をしてもおつりが来そうな額だ。


漫画家の住んでいたボロアパートは私の町では有名らしく、以前タクシーに乗った時に運転手が当時のことを教えてくれた。

ボロアパートの近所には世界初の「ノーパンしゃぶしゃぶ」の店舗があり、たまに編集者が打ち合わせにとアパートの漫画家をそこに連れて行っていたという。

9億円のびんぼうランドとノーパンしゃぶしゃぶ。
私の住んでいるところは夢のある町なのだ。








高速回線は光うさぎの夢を見るか 2018年10月19日 日記 トラックバック:0コメント:0

かわいそうな女の子を好きなのが自分のもっともどうしようもないところだと思う。

女の子をひどい目に合わせる趣味があるわけではない。
運命的にかわいそうな女の子の、ひどい目にあっても壊れていない心のまともな部分を愛しつつ、壊れている部分に欲望を見出す。

私の漫画を読んだ何人かの人が私の漫画は華倫変に似ていると言っていた。
その後「全く似てない」とか、「○○さんの方が似てる」といった議論まで散見されたので一層気になって、「高速回線は光うさぎの夢を見るか」という短編集を一冊読んだ。

作者は亡くなっているので詳しいことは判らないが、おそらく、「かわいそうな女の子が好き」という点において似ている。というか同じなのだと思う。

さらに、自分がかわいそうな女の子が好きであるということに罪悪感を抱いていることも同じっぽい。

「岡山三奈」がヒロインのシリーズはそれが物語の核となっていて、主人公は人格障害を持つ岡山三奈の生きづらさに同情するが、三奈が生きやすい人格を会得すると簡単に興味を失ってしまう。

この「簡単に」興味を失う主人公の描写に華倫変の罪悪感が見えるような気がする。
他の作品でも華倫変は自らの内面を露悪的に描いているものが多い。


自らのどうしようもなさを表現するやり方が不器用なので、華倫変の評価を見ると、破滅的で自暴自棄ととられる場合が多いようだが、どちらかというと内省的な性格なのだろう。

季節感のない蝶が飛んでいたり、ストーリーと関係なく非現実的なあぜ道に人物がぽつんと佇んでいたり、背景にはしばしば作者の心情が反映される。

ドラッグや輪姦といった強く破壊的なモチーフの後ろに隠された繊細さとそっと対話するような、不思議な作品だった。



握手 2018年10月06日 夢日記 トラックバック:0コメント:0

夢の中でよく誰かと握手をする。
握手をすると、感触や体温がその時だけやけにはっきりし、その後すぐに目は覚める。
手を握ると夢の中ですら、その人と別れることが少しだけ惜しくなる。

自分が正気で考えることに興味がそそられなくなってきているから夢を覚えておくことに躍起になっていて、それが無意識に夢の中でも働いているのかもしれない。

この間は夢の中で酒鬼薔薇聖斗と握手した。もちろん会ったことはないのでどこにもいない人だ。

夢の中で私は「嫌だなぁ」と思いながら話していた。
高校の時仲の良かったりかちゃんが酒鬼薔薇聖斗大好きで、ネットで千葉かどこかのガソリンスタンドで働いているという嘘くさい情報を得て会いに行ったりしていた。

そんな話を彼にすると、
「ガソリンスタンドでは働いてないですよ。」
と言っていた。

りかちゃんに会わせてあげたいなぁ。というかりかちゃんは生きてんのかな?この人本当に酒鬼薔薇聖斗か解らないし。

とか思っていたら、突然手を差し出された。
握り返すと暖かくて分厚い手だった。


私は夢の中で何かを確かなものにする為に握手をしていることがその時わかった。

起きて感触が残っていると、現実に少し夢が混じっておかしなことになる。
でも夢はいつでも私にとって真実なので、ただ受け入れるしかない。


ところで握手は生活をしていてもけっこうある。
酔っ払った人、朝まで飲んだ友達、今日初めて会った人。

手を握ると、全てが普通。夢と同じ。
あまりにさりげなくその行為は行われるので、本当に夢と区別がつかないことがある。

「握手しよう。」
と言われて「何で?」と思った時には握手をしていて、自分の手が相手の手より暖かいとなんか恥ずかしいな。と思った。

なんで握手をするんだろう。何かの確認なのだとしたら、現実のほうは寧ろ不確かになるので弱る。

霊感インターネット 2018年09月13日 日記 トラックバック:0コメント:0

以前「わたしたちの家」の記事で書いた「霊感」について、もう少し詳しく書きたい。

私は「霊感」という言葉を、言葉で伝える事のできない感覚や、存在が証明できないものを適当にまとめて使っている。

そんな霊感の中の一つ、上の記事で説明した、平成生まれ以降のコミュニケーションに比較的用いられる事の多い、グーグル画像検索のような(言葉←→イメージ)といった脳みその使い方は、「メタ感覚」と言い換えよう。(どこかで見たことばを私が勝手な用法で使ってるだけなので出典とかはない。)

メタ感覚とは何か。
言葉で説明するとややこしいので、この画像を見て欲しい。

201809131646541ef.jpg



画像を見て、生理的な不快感を覚える人が多いのではないだろうか。

言葉になる以前に皮膚感覚を刺激されるような感じ、
画像には写っていない石鹸の欠けている部分が歯にまとわりつき口の中の粘膜を刺激し泡立つ感覚を想像し(石鹸を食べたことがなくても)追体験するのが「メタ感覚」である。

何も感じない人や、説明されてもピンとこない人も居るかもしれない。


言葉とは違い、共有されない人が必ず居るのが、メタ感覚の重大な欠点だ。

しかし、近頃の美術や映画、詩などでも、この感覚を刺激するものが増えて来ているように思う。


私も作品を作る際、こういった感覚を大切にしている。

発表していると時々、
「わかりやすくすることはできなかったの?」
と聞かれるが、正直できない。

だいたいのものは万人に解り易く説明可能だけど、説明で面白さを伝えるのは不可能に近い。


メタファーによる感覚の共有は「夢の共有」に近いのだ。夢の話は退屈だが、他人の見た夢は見てみたい。



しかし、これには同じ感覚を持たない受け手を排除する性質があることも考える必要がある。


そうして排除された受け手だけが、本当のところ、次々共有されては消えていく夢を現実に残してくれる人たちなのだと思う。
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